コロラドからロスアンゼルス大忙しの旅3

 

翌日は気合いを入れて出発。何せ今日はこれまでで最も長距離を走らなきゃいけない。おまけに当初は予定になかった遺跡探訪まで入ってる。更に走り抜けるのは灼熱の土漠地帯。正直に言って、ちょっと自信、無かったです。

それでも走らないことには今日の宿にありつけません。590マイルの距離を走り終わるのは何時になることでしょう?

宿を出発したのは気合いの入った8時前。ねぼすけにしては大した気合いの入りようです。まず向かったのはデュランゴから車で1時間ほどのメッサ・ベルデ遺跡。ここはインデアン(ネイティブ・アメリカン)が入ってくる前に栄えた遺跡で、西洋人が発見した時は廃墟になっていた所です。インデアンの遺跡には冷たい(後ろめたい?)アメリカ人も、これなら安心してめずらしがれると見えて凄く人気のある遺跡です。

考えてみれば、アメリカは大自然でも何でもあるけど遺跡だけは極端に少ない。数ある国立公園でも、遺跡を残してある国立公園はほとんど無いんです。因みに入場料は、以前に行ったイエローストーンなんかより遙かに安かったです。

どこに遺跡があるんだろう?と思わずにはいられないほど山の上へ上へと上がっていきます。このメッサ・ベルデの遺跡はかなり広い範囲に数多くの遺跡が点在しており、その多くはツアーを申し込んで参加しないと行くことができません。

申し込みは遺跡の入り口に当たるビジターセンターで行いますが、朝の10時の段階でほとんど空きは無し。人気のあるツアーは夕方の分まで売り切れていたりします。でも、ここに来ないと申し込めないらしいので、みんな一生懸命早起きしてやってきます。

私たちはツアーに参加できるほど時間に余裕がないので、2カ所ほどセルフガイデッドツアー(勝手に見て回ると言うこと)として見るだけにしておきます。なお、公園の入り口で入場料を払ったにもかかわらず、ビジターセンターでさらにツアー料金を払わないとここから先には進めません。

レンジャーにチケットを見せて走り出すと、3分もしないうちに一つ目の遺跡発見!どうやって使うのかも分かりませんが、遺跡であることだけは確かです。説明書きにも「確かなことは分かっていないのだが・・・」と言う注釈が付いてから「これは集会場だろう、とか、これは風呂場だろう、とか書いてあります」
ここの遺跡の住人は身長120cmくらいだったようですが、それでもかなり狭いことには替わりありません。ここの奥は行き止まりになっており、珍しがって入っても、直ぐに出てこないとどうしようもありません。

集合住宅のような遺跡ですが、大きさはアメリカの標準的な家と大して変わりません。でも、部屋が小さいので部屋数は20くらいあります。

次に向かったのは博物館のある場所で、そこからはこんな遺跡が見えます。これが本物のメッサ・ベルデの遺跡と言う所でしょうか?

たくさんの人が見えますが、これはツアーに参加している人たちで、他の入り口からバスで入ったらしいです。こちらからも行けるようですが、通路に鍵がかかっていてここまでしか行けません。

でも、一応「訪れて一番記憶に残った国立公園」と言うメッサ・ベルデの核の部分の一つです。

この遺跡はあちこちが修復中で、広大な地域の多くの遺跡は訪れることすらできません。行ける遺跡はしょっちゅう変わるのでビジターセンターで確認しないと当日まで分かりません。

遺跡の上側は、何の変哲もないただの岩です。ちょっと見ただけじゃ、こんな所に遺跡があるなんて思わないですよね。外の景色と遺跡を交互にゆっくり眺めてから出発することにします。
なお、博物館の壁にはテレビで見慣れたこのマークが誇らしげに掲げてありました。世界遺産なんですね。

通りがかりのアメリカ人も誇らしげに「凄いだろう!」と言っていましたが、世界遺産て自分たちで選んで申請して、自分たちでお金を出して決まりに従って管理するものなので、お金のある国じゃないとなかなか管理できないって話です。だから国立公園の入場料を払ったのに、また(セルフガイデッドの)ツアー料金を取られたんですね。

なお、この遺跡を何枚もの写真を使って日本語で紹介するのは、たぶんこのページが初めてです。

さてさて、山の上にある遺跡を見終わったらさっさと先を急ぎます。公園を出た時点で既に11時になってます。まだまだ500マイル(800キロ)近く走らないと行けません。

広い道をひたすら走って州境を目指します。デュランゴの辺りはいかにも山という感じでしたが、だんだん平地が多くなってきました。まだ標高は1600mくらいありますから、あまり暑くはありませんが、日差しの強さは相当なものです。

ガソリンを補給してから飲み物も補給して、いっきに土漠地帯に突入していきます。

途中で道を曲がったら、道路がいきなりオンボロになりました。あまり凸凹はしていませんが、120キロくらいで走っているのでうるさいです。地図を見る限り、ほとんどコロラドの左下の角に来ているはずですが、そんなのはどこを見ても分かるはずがありません。

この道はコロラドからニューメキシコに一瞬入って、そのままアリゾナへ抜けていき、ニューメキシコ内はほんの数マイルしか走りません。

そろそろだと思っていたら、ありました。なにやら看板が立っています。597号線は数百メートルしかない、目的の「pフォーコーナーズ」への一本道です。

あまりに何もないので、一瞬本当にここか?と迷いましたが、とりあえず曲がってみることにします。如何に何もないとは言え、「ようこそフォーコーナーズへ」くらいの看板を出しておいても良いと思うのですが・・・・。これだと気が付かずに通り過ぎる人だってきっといるはずです。

角を曲がった所に「ようこそニューメキシコへ」の看板がありました。実際はここを曲がるほんの少し手前が州境なんですが、その表示はありませんでした。
角を曲がって前を見ると、確かに先に何かあるようです。しかし、車が止まっているだけのような気もします。前日のデュランゴの鉄道の中で出会ったあんちゃんが「確かに何にもない所さ。3ドル払うと駐車場があって、小さな露店があるだけだから」と言っていたのはこのことなのでしょうか?

 

入り口では入場料を取られます。この辺りはインデアンの居留地になっているらしいです。その自治のためのお金を取っているみたいです。一人$3ですが、少し前までは半額の$1.5だったそうです。確かに「3.00」と書いた部分はとってつけたような張り紙です。
インデアンの露店が並ぶ中心にフォーコーナーズはあります。その人気のなさは、まさに荒野の外れと言った感じです。みんな順番に左側の展望台(?)に上って写真を撮っています。
因みにフォーコーナーズとは、アメリカで唯一、州境が十文字に交わっているところで、地図では左上から右回りでユタ、コロラド、ニューメキシコ、アリゾナの四つの州が堺を接しています。ここまでマニアックな観光地(?)はアメリカ人でも「知ってはいるが行ったことはない」と言う部類のスポットになります。
それでは展望台に上がって州境をじっくりと見てみることにしましょう。手前がアリゾナ、右がニューメキシコ、左がユタで奥がコロラドになります。何度もしつこいようですが、本当にこれくらいしか書くことがないんです。「5秒で4つの州を回れる」と言うのは本当のことでした。因みに千恵は「四つの州を同時に踏みつける」と言う技を使っていました。
インデアンの居留地なので、お約束の馬に乗った記念撮影です。このインデアンのおっさんはとても親切な方で、記念撮影料も「志なのでいくらでも結構」とのことでした。一応相場の$2を寄付します。

ここの露店ではとても綺麗なビーズ細工や銀細工を売っていました。遅めの昼食をここで済ませたのですが、食堂らしい店はほとんど無かったので、トレーラーの売店でタコスを買って食べました。

それでは更に先を急ぎます。国道に戻って直ぐにアリゾナ州に入ってしまいました。「いいことヒロ、アリゾナの人はとても賢いの。だって一年中同じ時間を使っているんだもの。夏時間とか何とか考える必要がないのよ」と会社の秘書のおばちゃんが教えてくれたように、このアリゾナは夏時間を採用していません。だから4月から11月は山岳部時間と同じになり、冬は太平洋時間と同じになります。だから今回は時計を動かす必要はありません。
アリゾナに入ってからは、本当に退屈するような土漠が延々と続きます。時々、こうして車内から運転しながら写真を撮ったりしていますが、こうでもしないと退屈でやり切れません。おまけに道路は一本道。退屈です。
前の写真を撮ってから更に2時間以上が過ぎました。それでもまだ景色は同じです。いや、違うと言えば違いますが。あまりにも暇なので、制限速度を守りながらトラックと競争したりして時間をつぶします。このあたりはパトカーなんているはず無いと思いますが、ごくたまに道路脇でレーダーガンを持って見張っています。

でも、物陰なんて無いのでパトカーが止まっているのは丸見えで、対向車がパッシングして教えてくれます。

それでもまだ延々と同じ景色が続きます。何とかならないものでしょうか?と思ってふと窓に触ったら「熱いっ!!」びっくりしました。外の気温はかなり上がっています。たぶん、知らず知らずのうちに標高が下がってきたのでしょう。窓に触った感じでは確実に風呂の温度よりも高いです。たぶん45℃くらいありそう。

標高の標識を見ると1000メートルくらいになっています。

ここまで走ってきて初めて気が付いたのですが、この道はその昔、約4年前に日本から遊びに来た同僚たちとモニュメントバレーに向かった時に通った道です。その時はアリゾナには少し入っただけで、ユタ側で宿泊したことが多かったので今回の旅の計画を立てた時には気がつきませんでした。

でも、モニュメントバレーはここから北に来るまで1時間ほど行ったところにあります。多くの車が右折していったので初めて気がつきました。おかげで道路はガラガラです。

そこから更に3時間ほど走ってフラッグスタッフを通過した所です。道路脇にはサボテンが立っています。植木鉢のサボテンしか見たことのない私には、電柱くらいもある大きなサボテンは驚きでした。

実はこの時、今回の計画の大きなミスに気がつきました。今日泊まるのはフラッグスタッフから更に2時間ほど南に下がったフィニックスの郊外なのですが、フラッグスタッフに泊まっても翌日のサンフランシスコまでの走行距離は大して変わらなかったのです。もう時間は夕方なので、この2時間は結構お腹に厳しいです。だから千恵には黙ってました。

無事に宿を発見したら、直ぐに夕食に出かけます。気温は8時だというのに44℃もあります。「アリゾナで美味しいものってなあに?」「メキシコが近いからメキシカンかなぁ???」「それじゃ夕食はメキシカンに決定ね」と言うわけで宿の向かいにあったメキシコ料理屋に入ります。

メニューを見た限りではそれほど変な料理とも思えませんでしたが、タコスを頼んだらこの通り。タコスを食べていると言うよりもチーズを食べていると行った方が早いくらいの巨大なものが出てきました。もちろん二人とも半分も食べられません。臓物スープは結構美味しかっただけに二人とも唖然としました。

でも、ホテルは新しくて綺麗で、プールも屋外だったけど綺麗で楽しかったです。全部で610マイル走りましたが、無事に着いて何よりでした。

いよいよ今日はロスアンゼルスを目指して走ります。フィニックスの郊外から州間高速10号線に入ります。10号線はテキサス州で良く走りますが、こんな所では初めてです。

今日の走行距離は320マイルくらいなので、昨日に比べれば楽なもんです。できるだけ早くロスに着いて、のんびりと街中を見て回れればいいな、そんな気持ちがふたりによぎります。だから、昨日より更に気合いを入れて走り続けます。

またこれかい!と言う感じで何にもない道路です。でも、さすが州間高速です。左にあるはずの対向車線はず〜〜〜〜っと離れた所を走っているので時々見えなくなります。今日も制限速度+7マイルでひたすら走り続けます。
今日の気温もすでに45℃に近く、猛烈に熱いです。休憩所に入ってもトイレを済ませて飲み物を買ったら直ぐに車に戻ってきてしまいます。壁に張り出された地図を見るのは、いつもは楽しいことなんですが、今日だけは辛いです。

とにかく真っ直ぐに西に向かっているので、いずれ気温は下がるはずなんですが、なかなか下がりません。昨日のテレビの予報では今日のロスアンゼルスは28℃のはずです。でもまだ気温は45℃以上あります。どうなっているのでしょう?

そうこうしているうちにカリフォルニアとの州境に来てしまいました。去年もそうでしたが、農業の州なのでご禁制の植物を持ち込んでいないかどうかの検査があります。引っかかるはずはないのですが、何故か緊張してしまいます。そして・・

「どこから来ましたか?」と聞かれて、慌てていたので「ロ・ロスアンゼルス!」と応えてしまい、しまった!と思いましたが、係官はにっこり笑って「はい、良い旅を」と通してくれました。良くコロラドナンバーの車をいい加減な答えで通してくれたものです。向こうもいい加減だったのかな?

カリフォルニアに入ると距離表示が「マイル」と「キロ」の併用になったりします。全ての地点ではないのですが、なんとなく嬉しかったりします。でも写真にあるように、ロスアンゼルスまで184マイルと書いてあると『もう少しだぞ』と思うのですが、296キロと書いてあると『東京から名古屋までの距離かい』とがっかりしてしまいます。
途中の休憩所は依然として猛烈に熱いです。すると千恵がこんな看板を見つけました。「ヘビ注意」です。ラットルスネークというのがどんなものかは知りませんが、夜に活動的と言うからには昼間は安全なのでしょう。州境の前後は土漠地帯の中でもかなり乾燥した場所らしく、街もほとんどありません。遠くに原子力発電所があったりしまして、早く通り過ぎてしまいたい場所です。
やがて去年サンフランシスコの近くでも見た風力発電エリアに入りました。ここはロッキー山脈の入り口で、一年中風が吹いています。数え切れないほどの風車が並んでいますが、面白いことに動いている風車の直ぐ隣は止まっていたりします。だから一定の電気を得るためにはあちこちたくさん並べておかないとダメなんですね。道路の左右にたぶん千機以上あります。

ここを通り過ぎてから少しずつ気温が下がり始めました。やっとカリフォルニアって感じになってきて、街も多くなってきます。

まずは「ロングビーチの辺りを走ってみたい」と言う希望に従ってロスアンゼルスの南にあるロングビーチを目指しました。しかし、道に迷ってあちこちぐるぐると走ってしまいます。なかなか海にたどり着けません。

結局ロスアンゼルスの直ぐ近くに来てやっと海に着きました。「やったー、太平洋だ!」車の外にでると「オー涼しいぞー!」さっきまでのあの灼熱地獄は何だったんだろうと言うくらい涼しくて気持ちいいです。

あまりの気持ちよさに、「ちょっと一服させて」とタバコに火を付けたら「ここ、吸ってもいいの?」と聞かれて、「そう言えばカリフォルニアは公共の場所での喫煙は一切禁じられていたんだっけ。パトカーに見つかったら罰金を取られるかな?」とすごすごと火を消します。全くいやな世の中になったもんです。

これが噂に聞くサンタモニカの海岸です。水温が低いらしく、あまり泳いでいる人はいませんが、のんびりと散歩する人、ジョギングをする人、いかにもサンタモニカです。

今日の宿はハリウッドのチャイニーズシアターの裏にあります。ハリウッドはロスアンゼルスの北なので、このまま海岸沿いを北上することにしました。イヤー気持ちいいです。

サンタモニカの街の直ぐ近くまで北上しました。さすがに大都会だけあって、海岸沿いで無料で車を止められる所はほとんどありません。それでも何とかみつけて写真をもう一枚。コロラドナンバーの車なんてほとんど見ることはありません。

夕食の時間も迫ってきたので、宿には行かずに、以前から計画していた焼鳥屋に直行することにします。

念願の焼き鳥を食べることに成功しました!箸の袋にも書いてあるように、店の名前が「YAKITORIYA」です。開店と同時に入ってコースでお願いしました。日本酒を飲みながら丁寧な仕事をした焼き鳥を心ゆくまで楽しみます。日本酒の向こうにあるのはガラで取ったスープで、これも絶品でした。本当に美味しい焼き鳥です。はっきり言って、ニューヨークの焼鳥屋(焼き鳥大将、焼き鳥East)より絶対に上です。ちょっと値段は高かったけど、その価値は十分にありました。

でも、焼き鳥だけでは満足しなかった私は、直ぐ近くにある焼き肉屋でタン塩も食べてしまいました。この界隈は日本食関係の店が軒を連ねています。もちろん店の中は100%日本です。う〜ん、来てよかったぁ。

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