コロラドからロスアンゼルス大忙しの旅2

 

今日はブレッケンリッジから同じコロラドの中でも南にあるデュランゴまで移動します。セミナーが終わってからの移動なのであまり長距離は移動できませんが、それでも300マイルくらいにはなるはずです。

途中、温泉に寄ってから、移動先のデュランゴでは蒸気機関車の森林鉄道の旅を楽しみます。

標高2900mにあるブレッケンリッジの街ともこれでお別れになります。素晴らしい空、素晴らしい山、そして素晴らしい人たちに心からお礼を言って街を出発します。
2年前と3年前にも来たのですが、ここが分水嶺で、この峠を境にして左は太平洋に流れ込み、右側は大西洋(メキシコ湾を含む)に流れ込みます。言ってみれば大陸の背骨の上ですね。

ここの標高は3460m。富士山よりも少し低いですが、今回の旅行の最高標高点になります。

ここまで上がってくると、4500m級の山々がかなり低く見えます。空気が薄いはずなんですけど、数日間ブレッケンリッジで過ごしたからか、全く違和感はありませんでした。

でも、人によっては高山病(altitude sick)になるそうです。

この辺りは森林限界ギリギリにあるので、ほんの少し上がっただけではげ山になってしまいます。日本ではハイ松が一番高い所にありますが、こちらはトド松もハイ松も、ほぼ同じ高さまで生えていて、一気に何もなくなってしまいます。
さあ、これから先は下る一方です。この辺りは標高2800mですが、彼方に見える高原の端っこは2300mで、一直線に下がります。どうです、この道の真っ直ぐな事!
高原の端っこまで行ったら、今度は小さな峠を越えて山向こうに出ます。麓に見える緑の畑は灌漑用水を利用しており、巨大な散水機で水を撒いています。この写真ではよく分かりませんが、なが〜い散水機をぐるっと回して水を撒くので、実際は半円形をしています。
前日にイラン人に教えて貰った温泉に立ち寄りました。プリンストン温泉という、なんだか賢くなれそうな名前の温泉(上司の出た大学と同じ名前)です。

アメリカにも露天風呂があるんですねぇ。水着着用なのが残念な所ですが、日本でも珍しい川の中の温泉なので文句は言いますまい。

川の水はそれこそ身を切るように冷たいんですけど、川の右側の川底からはじわじわとお湯が沸き出しています。右のコンクリートの壁は付属のプールの壁です。料金は大人$6。ちょっと高い気がしましたが、温泉の誘惑には勝てません。

 

なんと言ってもこの眺めです。開放感抜群です。

川の水音を聞きながら天気の良い空を眺め、のんびりとさせて貰うことにします。本当は1時間くらいで切り上げるはずだったんですが、いつの間にか二人ともそんなことはコロッと忘れてしまいました。千恵のバージョンはこちら

私の足を見せるつもりじゃありません。よく見て下さい。川底から温泉が沸きだしてゆらゆらと陰を作っているのが分かりますか?

ここは右側が川で、左側が温泉プールなので、身体を右に寄せると水温が下がり、左に寄せると暖かくなります。身体の位置を微妙に調整して、一番気持ちの良い場所を見つけるんです。

さすが鉱山の州コロラドです。温泉の中の岩をよく見ると、キラキラ光る鉱物がたくさん入っています。金色に見えるので砂金だ!と思ったのですが、よく見たら雲母が光っているだけでした。

でも、なんだか豪華な気分です。この辺りはどこに行ってもこんな岩ばかりです。

いや〜〜最高の気分です。湯加減も文句なしで、完全にとろけてしまいました。このまま眠ってしまいそうです。

因みにこの場所も足の辺りと右手の辺りはお湯が熱くて、日本の温泉と全く変わらない温度です。

コロラドに行くことがあったら、ぜひ温泉に行ってみることをお勧めします。

温泉上がりは座敷で一休み、と行きたい所ですが、そんな時間はありません。なんせ半日少々で500キロも移動しなけりゃならないんです。

湯上がりのほけ〜っとした身体のまま先を急ぐことにします。気分最高になった後なので、隣で千恵はさっさと寝てしまいました。

それにしてもこんな道ばっかりです。標高はじわじわと下がってきて、2000m近くになっていますが、全然景色が変わりません。

と思っていたら、ズドドドドーーッと凄い音がしました。一瞬何のことか分からず、キョロキョロします。千恵は寝ぼけ眼でぴょんと飛び起きました。

ふと上を見るとF16戦闘機が2機お互いに絡み合うように遙か彼方に飛んでいくのが見えました。きっと300キロほど南のコロラドスプリングスにある空軍士官学校の訓練機なのでしょう。イヤーびっくりでした。

それからしばらく走った後に山の中に入ります。何度も山を登って降りて、また上って降りて、を繰り返します。急な下り坂も多く、止まれなくなったトラックが乗り上げるためのトラックレーンが各所に作られています。日本の国道と同じですね。
ちょうど夕方になる頃、目的地のデュランゴに到着しました。この街は観光都市なので街並みがとても綺麗です。

予約してあったホテルも無事見つかり、

その日の夕食は日本系ヌーベルキュイジーヌのお店でした。ビールグラスからして既にお洒落です。

この料理は生春巻きなのでタイ系ですね。丁寧な盛りつけなのでとても綺麗でした。

ホテルの水音がもの凄くうるさくて、配水管の音をスピーカーで流してるんじゃないかと思うくらいの騒音に悩まされながらも8時前に起床。デュランゴの駅に到着です。
駅の中に入ると、ホームと言うものは無くて、どうやら線路の汽車に勝手に乗り込むようになってるみたいです。これは普通車です。
普通車の隣にはこんなトロッコがくっついています。でも、この開放感いっぱいの客車じゃ、天気次第では大変なことになりそう。
私たちは思いっきり奮発して特別車です。ここにはバーテンが乗り込んだバーが付いています。
発車の時間になるまでしばらくあったので、併設の鉄道博物館を見学します。

何故か日本語の銘板を発見。しかし、解説にはどこのものとも書いてありませんでした。もしかしたら日本のものじゃないのかも?日本に58000系なんてあったかなぁ?

博物館の中にはいくつも機関車が展示されていましたが、今世紀初頭の機関車としてこれが一番良い場所に置いてありました。

西部開拓時代に重要な役割を果たしたのでしょう。まだエンジン部が小さくて、あまり高出力には見えませんね。

発車時間が近づいてきたので、列車に戻ることにします。編成全部を写したかったんですけど長すぎてダメでした。

この鉄道はナローゲージと呼ばれていて、アメリカなのに日本と同じ線路幅を使っています。

もともと森林や鉱物を運ぶ山岳鉄道だったので、敷設が簡単で安く上がる、狭い線路幅にしたんですね。

特別車は最後尾なので、デッキに出て後ろをのんびりと見学することも可能です。なんとなく豪華な感じがしませんか?イエ、私のお腹じゃないですよ。
発車してしばらくすると、街を抜けて郊外に入っていきます。すると列車の横をグライダーが!そう、ここはグライダーの滑空場なのでした。
車内の良い位置をキープできたので、のんびりとサービスの焼きたてのパンを食べていると、車掌さんが検札にやってきました。後ろのおっさんは寝ています。
だんだんと山の中に入っていきます。先頭の機関車は遙か先です。

途中にはいくつも駅がありますが、街の近くの二つの駅以外は、ほとんど駅らしい建物はありません。

この辺りが横を流れる川と最も大きな高度差がある場所で、川まで120メートル以上あります。がけの上を列車はゆっくりと通っていきます。
先頭の機関車が見えました。ゆっくり走っているのであまり煙を出していません。先頭まで何百メートルあるんだろう?
崖を無理やり切り開いて造った線路をそろりそろりと進んでいきます。

なんでも、岩が落ちてくることが結構あるそうで、時々線路上に岩が転がっていたりするそうです。

でも、結構お客さんは怖いもの知らずで、私のように乗り出して写真を撮っている人が結構います。人ごとじゃないけど、落ちたら大変です。
そのまましばらく走ると、遙かしたにあった川が急速に近づいてきます。こうなると、あとは終点のシルバートンまで川の横を進んでいくことになります。

蒸気機関車は水を沸かして走りますから、水が途中でなくなると、水を補給するために停車します。給水停車なんて小さい頃に経験して以来です。線路横にはその為のタンクが高い位置にあって、数分で機関車の水タンクを満杯にします。このために昔の鉄道はどれも川の横を走っていました。

この旅で給水停車は2回あります。

デュランゴよりも200メートルくらい高い所に上がってくると、周りは白樺(?)の林になります。天気はそこそこなので、太陽の光が林の中をすり抜けてくるととても綺麗です。

この辺りの駅には一件だけ経っているホテル専用の駅というのもあります。そのホテルは超高級ホテルで、この列車で来るかヘリコプターで来るか、しか方法がないそうです。

ふと後ろを見ると、いつの間にか山の奥深くに入ってきました。線路の保守はマメにやっているようですが、高速運転をしないので、あまり丁寧にはやっていないようです。

のろのろと時速30キロぐらいで走っている割には結構揺れます。

真ん中に移っているおじいさんと話をする機会がありました。なんでも第二次大戦で従軍してから牧師になったそうで、「今の若いもんはパールハーバーを知らないんだ。私たちがどんな思いで戦ったと思っているんだ」と語り出すと止まりません。「日本軍の渕田隊長を知ってるか?パールハーバーで隊長だった・・」「本で読んだことがあります」「彼も私と同じ牧師になった。(渕田少佐は戦後アメリカに移住した)とても立派な人だ。今でも良く覚えている・・・。○○で会ったんだ。とても親切にしてくれた」話は尽きません。1時間くらい話っぱなしでした。
川の水が茶色に変わると、目的地は近くです。勾配が急なので機関車はめいっぱい煙を吐いています。最後尾なので煤煙も石炭カスも飛んできませんが、機関車に近い方は大変でしょう。

幸いにもトンネルは短いのが途中に一カ所あるだけで、機関車に近い車両以外は煙に悩まされることはありません。

川の反対側にはいくつも小さな鉱山跡があります。

出発してから3時間半。やっと終点のシルバートンに到着です。この列車は私たちが2時間後に戻ってくるまでの間、三角線で方向を変えてから後ろ向きになって(出発地を向いて)私たちを待っていてくれます。荷物を車内に置いて出てもOKです。

みんな気楽な格好で列車を降りて小さな街の散策に出かけました。

やはり機関車は人気があるようで、次々に人が来ては写真を撮っていきます。機関手の人は愛想良くそれに応えて写真に写っています。
私も写真を撮ってみました。まずは機関部の写真です。日本の蒸気機関車には絶対にない、二つの後部シリンダーを指さしています。機関車の先頭にあるシリンダーと同じ役目をして車輪を回します。これで先頭と後部にそれぞれシリンダーがあるので力が2倍になるわけです。

おまけにそれぞれのシリンダーは、蒸気が高圧シリンダーを動かしてから低圧シリンダーを動かす複式を採用しています。日本では最後まで成功しなかった方式ですが、アメリカではこうして実用化されていたんですね。

因みに複式にすると蒸気が高圧と低圧で2回仕事をするので燃費が良くなります。

やはり機関車はこのアングルが一番格好が良いみたいです。前輪の前にあるのが複式シリンダーで、上の小さい円筒が高圧側、下の大きい円筒が低圧側のシリンダーです。
現在日本を走っている蒸気機関車は、石炭の煙を防ぐのと、機関助手の仕事を楽にするために重油を使っていますが、ここはちゃんと石炭を燃やして走っています。その証拠にスコップの写真を撮りました。

機関助手の人は一往復でなんと7トンもの石炭をボイラーに放り込まなくてはいけないそうです。

使っている石炭は黒光りしてる最高級の石炭でした。これならあまり黒煙も石炭カスも出ませんね。

などと感心しているうちに周りに人がいなくなったのを確かめて機関車はバックで出ていきました。方向転換に使う三角線は街の外れにあります。あまり長くないので、たぶん一度に全部は方向転換できないと思います。きっと列車を分割して、2回に分けて方向転換することでしょう。

言い忘れましたが、何もないけど、ここはシルバートンの駅です。

シルバートンの街は標高2200mにあります。山の中の小さな小さな街です。ここの通りがメインストリートですが、その周りに3本ある通りは舗装されていなかったりして、本当に田舎町です。でも、ここにあるホテルは一泊$300を優に超える高級ホテルです。

列車以外でも、車でも来れるのですが、やはり列車で来ないとこの街はタダの田舎町に見えてしまうことでしょう。

町はずれにある牢獄。日本でも田舎に行くとこんなのが観光目的で残されていたりしますね。

でも、「FOR RENT」の張り紙はアメリカならではです。牢屋なんて何に使えるんだろう?

お昼は、どうせろくなものがないのは分かり切っているので、腹をくくってイタリアンにしました。ところが意外に美味しくて嬉しい誤算です。久しぶりに伸びてないパスタを食べました。

のんびりと食事をして、街を見学すると2時間なんてあっと言う間です。特別車に帰ってくると、みんなにホットチョコやブランデーを振る舞ってくれます。

朝も次々にいろんなものを出してくれたこのおばさんは、リクエストすると何でもカクテルを作ってくれます。「帰りは寝ていく人も多いでしょうから、気持ちよく眠れるようにコーヒーにブランデーやシェリー酒を入れてもいいですよ」と言ってくれます。因みに特注のカクテルは均一に$5でした。

列車の跡を一台のモーター車がトコトコとくっついてきます。どうやら連結器が外れたりしないかどうか(置いて行かれる車両がないか)見張っているようです。

外は雨になりました。窓のないむき出しのトロッコ車両では、雨が吹き込むたびに「オオォォーー!!」と声を上げてあっち側こっち側と避難しています。まあ、それはそれで面白いのかも知れませんが。アメリカ人は濡れる乗り物が好きだし。

ビールを飲んでからアイリッシュコーヒーを飲んだら、さすがに眠くなりました。おまけに列車は途中で止まったままで動こうとしません。

いつの間にやら気を失っていると、「バシッ」と撮られてしまいました。

45分も止まったんですが、やっと対向列車が来ました。同じ型の機関車ですが、ほんの数両しか引いていません。
向こうの列車は数人のお客さんを降ろすと、猛烈な煙を上げて走り出しました。向こうは登りになるので機関車は大変です。
途中で川と少し離れる時間があります。この向こうには分岐線と奥に駅があって冬の間だけ定期列車が走ります。

帰りは行きで捕まった牧師さんの奥さんに捕まりました。「私の妹がね、デンバーに住んでいたんだけど・・・」長いです。でも30分で何とか抜け出しました。

乗客の一人がとんでもないことを教えてくれました。「ほら、あの湖、家が一軒しかないでしょ?プライベートレイクなのよ」「ええっ、あの湖は個人のものなの?」「そう、だから家も一軒、船着き場も一つだけなの」ここで驚いてしまった私は、まだまだ修行が足りません。アメリカでは珍しいことではないそうです。
街まで帰ってくると、機関車はお客を降ろしてからすっかり傾いた夕日を浴びながら機関庫に帰っていきます。お疲れさま、お世話になりました。

ナローゲージの森林鉄道の旅は想像以上に素晴らしいものでした。

さあ、明日は荒野を一直線に進みます!

 

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